広島家庭裁判所福山支部 昭和34年(家)204号 審判 1959年4月14日
申立人 小野ツギ(仮名)
事件本人 亡小野健一(仮名)
主文
一、芦品郡○○町役場備付にかかる、旧行政区劃芦品郡○○村大字○○二〇〇九番地筆頭者亡小野健一の除籍中、筆頭者健一につき父母の氏名欄中、父「亡小野文男」とあるを消除し、母「亡シノ」とあるを「小野ツギ」と訂正し、父母との続柄欄に「三男」とあるを「男」と訂正し、前戸主との続柄欄に「亡小野文男三男」とあるを「亡小野文男孫」と訂正し、身分事項欄中、出生届出人「父小野文男」とあるを「戸主小野文男」と訂正すること。
二、同戸籍中、姉ツギにつき戸主との続柄欄に「姉」とあるを「母」と訂正すること。
三、同町役場備付にかかる○○町大字○○二〇〇九番地筆頭者小野ツギ戸籍中筆頭者ツギにつき、前戸主との続柄「亡小野健一姉」とあるを「亡小野健一母」と訂正すること。
四、同町役場備付にかかる、旧行政区劃芦品郡○○村字○○一八〇番次○番屋敷筆頭者亡小野文男除籍中、三男健一につき、父母の氏名並びに続柄欄に「長女ツギ男」と記載し、戸主との続柄欄に「三男」とあるを「孫」と訂正し、身分事項欄中出生届出人の資格「父」とあるを「戸主」と訂正すること。
を夫々許可する。
理由
申立人は主文同旨の戸籍訂正許可の申立を為すものでその理由の要旨は、事件本人亡小野健一は戸籍上亡小野文男とその妻亡シノの間の三男として記載されているが、これは真実ではなく、真実は申立人と小野福夫との間の事実上の夫婦間の非嫡出子として大正八年三月一〇日出生したものであり、これを事実通り申立人の子として出生届をすれば所謂私生子として種々不利益を蒙るのでこれを避けるため、申立人の父小野文男の戸籍に父文男母シノ間の三男として虚偽の出生届をしたので、その旨戸籍に記載されたものであるから、申立の趣旨の如き夫々戸籍の訂正を求めるというにある。
よつて判断するに、本件申立書に添付された、筆頭者亡小野健一の除籍謄本、筆頭者亡小野福夫の除籍謄本、筆頭者亡小野文男の除籍謄本、筆頭者小野ツギの戸籍謄本に、申立人の審問の結果、証人小野トミの証言を綜合し、併せて事件本人亡小野健一の戸籍上の姉ツギ(本件申立人)が小野文男とシノ間の長女として明治二二年二月一六日に、その後一八年を経過した明治四〇年一二月一一日に兄数夫が、その後二年を経過した明治四二年三月二〇日に兄修が、その後七年を経過した大正五年三月八日に姉ツルが、夫々出生しその後三年を経過した大正八年三月一〇日にそれらの者と父母を同じくして事件本人健一が出生した旨登載されていることに鑑みると、
申立人は、小野文男とその妻シノ間の長女即ち家附の一人娘として出生し、満一八歳の時初めて田上佐一を婿として迎え爾来事実上の夫婦として共同生活を営んでいるうち、田上佐一も長男であつたため廃嫡等の手続をしない限り申立人との婚姻届出ができなかつたので、婚姻届未提出のまま、申立人は田上佐一との間に明治四〇年一二月一一日に数夫を初産したが生後数日でその数夫は死亡し、その次に田上佐一との間の第二子として明治四二年三月二十日修を出産したが、その子も生後四ヶ月位にして死亡したこと、その二人の子の出生届出については、事実通り申立人の子として届出をすれば非嫡出子として、その当時種々不利益を受けることになるので何れも申立人の父小野文男の戸籍に長男並びに二男として出生届をし、その後間もなく申立人と田上佐一とは事実上の夫婦関係を解消し、その後二、三年を経過した明治四五年二月二五日に山田勇吉を婿として迎え、同年四月二四日に申立人並びに戸主小野文男との婿養子縁組婚姻をし、その間に大正二年六月三日に長女マスを出産しその旨出生届を提出したが、その翌年である大正三年一一月一〇日に申立人並びに戸主小野文男との婿養子縁組婚姻を解消し、更にその翌年である大正四年七月頃申立人の従弟の関係にある小野福夫を婿として迎え、申立人の家で結婚式を挙げ、爾来事実上の夫婦として申立人の父母等と共に共同生活を営んでいたところ、福夫も長男であつたためこれも婚姻届未提出のまま、申立人は福夫の子を懐胎し、大正五年三月八日ツルを出産し、その後三年を経過した大正八年三月一〇日にその次の子として本件事件本人である健一を出産したこと。又これらの二人の子を事実通り申立人の子として出生届をすれば非嫡出子として不利益なる取扱いを受けるのでこれを回避するため、申立人の父小野文男の戸籍に文男とその妻シノの間の二女並びに三男として夫々虚偽の出生届をしたため、戸籍上その旨の登載がなされていること及びそのツル、及び事件本人である健一の出生届は申立人の父である小野文男が届出をなしたものであること、ツル及び事件本人健一等は実母である申立人と実父である小野健一とによつて養育されて成長し、その後において申立人と小野福夫との間に出生した一男一女の二児は何れも小野福夫の戸籍に非嫡出子として入籍してあること、右シノは大正八年八月八日死亡しその後大正一〇年一一月一一日前戸主小野文男の死亡により、事件本人健一はその家督相続をなした後、昭和一八年一月一二日にニユーギニヤ島ノーザン州○○附近の戦闘において戦死したものであること、申立人の事実上の夫であり事件本人健一の実父である小野福夫は昭和三二年九月一五日死亡したものであることの各事実が認定できる。
そこでかかる戸籍の記載が真実に反する場合戸籍法第一一三条による戸籍訂正の申立が許されるかどうかについて検討するに、戸籍訂正の結果、親子関係不存在の如き身分関係に重大な影響を及ぼす場合には必ずその旨の確定判決を経た上戸籍法第一一六条に則り、戸籍訂正をなすべきで直ちに同法第一一三条による戸籍訂正をすることはこれを許さないのを従来の取扱例とした。然しながら嫡出子否認、認知の無効の如く判決によつて始めて身分関係に変動を生ずるものについては、確定判決のあるまでは、そのままの身分関係が存続するから確定判決を経ないで戸籍を訂正することのできないこと勿論であるが、本件の如く身分関係を変更するのでなく、単に戸籍の記載が真実に反する場合においてなお親子関係不存在の確定判決を経なければ、戸籍訂正をなすことが出来ないと解すべき充分の理論的根拠はない。蓋し親子関係は養子親子関係を除き、事実上の血縁関係であつて、判決でこれを形成又は消滅せしめ得るものではなく、又戸籍の記載は身分関係を公証するに過ぎないものでこれを形成又は確定するものではない。従つて戸籍の記載が真実に反することの確認せられる場合においてはこれを真実に則して訂正するのが事実上及び法律上妥当の取扱いというべきである。然るにかかわらずこの種の戸籍訂正について従来確定判決を必要とする如く考えられたのは戸籍訂正が区裁判所において非訟事件として取扱われていた関係と戸籍訂正の結果は人の身分関係に重大な影響を及ぼすものであることを顧慮し、戸籍訂正の対象となるものの利益を侵すことのないよう慎重を期することから可及的に確定判決を戸籍訂正の根拠とする実際上の必要性があつたためであるが、旧来の制度が一新された現在においてはかような実際上の必要性もその根拠を失つたものとすべきと共に、旧来の考え方を固執するときは、自己とは何等の血縁関係のない者が、誤つて同一戸籍に記載された場合においても、その者の死亡後はも早や戸籍訂正をなし得ないこととなり不合理といわねばならない。
叙上説示の如く身分関係に変動を生ずる場合を除き、戸籍の記載が真実に反することの認定がなされる限り戸籍の訂正がなされるものと解すべきである。
仍つて前段認定の事実関係の存するにおいては、戸籍法第一一三条により、戸籍訂正の許可を求める本件申立を相当と認め、主文のとおり審判する。
(家事審判官 河相格治)